1961年3月17日、神戸に生まれる。幼少期、図画工作やプラモデルが大好きで、学校で好きな事をして褒められる快感を細胞にインプット される。
時を経てもなお、好きな事を追い求め、親が名付けてくれた名に背き、学ばず遊んでばかりいた。そしてせめて学校だけは卒業してくれという親の 言いつけを
はじめて守り、1979年になんとか大阪市立都島工業高校を卒業する。高校在学時、暴走族であった兄のコスチューム(俗に言う「つなぎ」) の背中に書いて
あげた龍のイラストが大好評で、半ば強制的にチーム全員分を失敗を許されない緊張感 の中、書かされた。強面のお兄さんたちの、 はにかんだ笑顔が今でも
忘れられない。様々な事を経験し、多感で好奇心旺盛な高校時代を謳歌したが将来の夢や目標をもたずラテン的な生き方をしていたために自分の進路を
決めかねていた。天性の勤労や勉強が大の苦手な性格が災いし、プロサーファーかミュージシャンになることを決心したが、食べていけない事を実感しすぐに
断念。仕方なく電気関係の職に就くがやはり好きな事で生計を立てる夢を捨てきれず、一念発起し、 ファッションデザイナーの姉の影響で独学でデザイナーを
志す。デザイナー宣言をしたときの周囲の人のあたたかい失笑が今も心地よく脳裏に焼き付いている。その後、デッサンや絵画などの作品を創り貯め、20数件
のデザイン関係の会社に飛び込みで採用を打診し、ようやくこの世界にすべり込むことに成功する。広告代理店、広告制作会社、デザイン事務所でデザインを
学ばせてもらった後、無謀にもバブル崩壊直後の1991年に永島学デザイン室を設立し、現在に至る。

仕事の内容は、パッケージデザインを中心にブランディングや商品開発などをしているが、制作物を難解な言語に変換して説明するよりも、まず心の琴線に
触れるクリエイションをしたいといつも願っている。また、最近は特に、シンプルで飽きの来ない、未来に向けてのロングライフなデザインを生み出す事が
クリエイターとしての使命であると感じ、「デザインをしないデザイン」をする事が究極の課題であると感じている。

主な受賞は、日本パッケージデザイン大賞銀賞/2005、日本パッケージデザイン大賞銀賞/2003、大阪グッドデザイン賞/2003、
メイドインKYOTO年間ベストデザインユーザー選賞/1991、財団法人大阪みどりのトラスト協会シンボルマークコンペ優秀賞/1990、などがあり、
他に入選や書籍などへの作品収録が多数あり。

所属団体 (社)日本パッケージデザイン協会、(社)日本グラフィックデザイナー協会